Hi,あきしま第41号
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4DVの基礎知識DV(ドメスティックバイオレンス)には、加害者による殴る、蹴る、煙草の火を押しつける、髪をつかんでタンスや床に叩きつけるなどの身体的暴力と、一見DVとは分かりにくい精神的暴力、性的暴力、経済的暴力があります。身体的暴力は、被害者が死に至ることも稀ではありません。精神的暴力とは、被害者の自尊心や自己評価を下げ、被害者に罪悪感を覚えさせるような行為を指します。能力や容姿について、相手をおとしめる言葉や(左下参照)心の傷や弱みになるようなことを加害者は言うのですが、その根本にあるのは、やはり加害者の支配欲です。巧妙な方法で被害者を束縛します。DVの様相は多様ですが、被害者の個人としての主権を奪うことにおいて、共通性があります。性的暴力は、その性質上、なかなかおもてに出にくいものですが、相手が拒んでいるのに無理やり性行為を強いるのはDVです。経済的暴力では、たとえば夫が妻に専業主婦を強いておきながら生活費を渡さず浪費する。自分は稼がない。その挙句に膨らんだ借金を妻に肩代わりさせようとする。これもまたDVです。グレーゾーンに注目!当事者も周囲も、それがDVと言えるのかどうかハッキリ分からない状況、すなわちグレーゾーンには私たちは敏感でありたいものです。家庭内の親密な関係というのは、公の常識とは違ったところにある世界なので、その世界でたとえ被害を受けていても、それが暴力なのか否かなどと疑うことすらそもそも持ちにくい。苦しんでいるのは自分なのに、自分がもう少し努力すれば何とかなるのではと考え、関係の中で耐え忍ぼうとします。このおかしな状況に被害者本人が気づくことは簡単ではなく、周囲が気づいてあげることが望まれます。しかし事情を聞かせてもらっても、「単なる夫婦喧嘩かな」などと、おおごとにしなくて済むような解釈を周囲の人もしたくなるものです。私たちはここで「何かおかしいのではないか」と気づくセンスと、それを無視しない勇気を持ちたいものです。DVと夫婦喧嘩のちがいDVは、夫婦喧嘩とは違うのでしょうか。夫婦喧嘩をどのように定義するのかにもよりますが、お互いに罵声を浴びせ合ったり、ぽかっと殴られても殴り返すぐらいの間柄なら、力関係が対等と言えましょう。それに対してDVは一方的であることを本質としています。殴る役、殴られる役がいつも決まっている。配偶者からいつも罵られているが、自分からは言い返せずに耐えなければならない。だとしたら人間として対等でないのは明らかです。こうした関係の中、一方が人間としての誇りを失い力を無くして相手に屈従する。それは異常な事態だと、まず捉えなければなりません。すべての人間には幸福に生きる権利が与えられています。それは過去の歴史と経験から現代人が学んだ知見です。夫婦だから、恋人だからということを根拠に、自分の思いどおりにならなければ殴るなどということは、許されてよいはずがありません。暴力は一回でも駄目です。殴られたのは偶然かもしれないとか、夫婦だからいろいろあるとか、これも愛情表現にちがいないなどといくら自分に言い聞かせようとしても、一回でも殴られれば心に傷が残るものなのです。被害者が逃げられない理わけ由それにしてもDV被害者がDVから逃げないのは一体なぜなのでしょうか。周囲の人は首をかしげるでしょう。しかしそこには、すでに述べたように、逃げられない構造があるのです。暴力のたびに、加害者はその暴力に理由づけをすることを忘れません。「お前が俺を怒らせるからだ」「言い方が悪いからだ」「お前がちゃんとしてさえいれば俺は怒らないで済むんだ」――要するに非は被害者自身にある。そう刷り込まれてしまうのです。毎年11月12日から11月25日までの2週間は、内閣府男女共同参画局が定めた「女性に対する暴力をなくす運動」週間です。昭島市では11月25日、保健福祉センターにてDVセミナーが開催され、臨床心理士で、くにたち心理相談室室長の木田佐知子さんを講師にお迎えしました。その内容の一部を紹介いたします。男女共同参画セミナーDV被害からの自由ー自分らしく生きるということー

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