Hi,あきしま第41号
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立川武蔵上野原武蔵福島武蔵田中南中神宮沢大神郷地西立川中神拝島南拝島青梅鉄道五日市鉄道  (通称五鉄)八高線五日市鉄道 路線図(昭和5年から19年まで)参照「昭島の歴史」7地域の埋もれた歴史をたどる昭島散歩五日市鉄道の歴史明治27年(1894)、青梅鉄道の開通以来、昭島の人々は、それを利用してきたが、本村から離れていたため、不便さに変わりはなかった。そのために人々は、もっと本村に近い所に鉄道をと、懇願していた。大正10年(1921)、五日市鉄道が創設され、大正14年(1925)4月、拝島から五日市間、昭和5年(1930)、拝島から立川間が開通した。青梅鉄道と異なり、昭島の本村のすぐ北側を通るルートであった。駅は、拝島、南拝島、武蔵田中、大神、宮沢、南中神、武蔵福島、郷地、武蔵上野原、立川の十駅。ガソリンカーで運転され、五鉄の愛称で親しまれていた(下図参照)。しかし昭和19年(1944)国より突然の営業停止命令、物資が不足している時代に、青梅鉄道と平行している拝島・立川間は、無駄な路線と指定されたのである。レールは撤去されて、兵器に変った。廃線となった五日市鉄道は、戦争の犠牲と言えるかも知れない。参考「昭島の歴史」 昭島市教育委員会五鉄通りを歩く今回の散歩は、今はなき五日市鉄道の跡を、拝島駅から大神駅までの間をたどってみた。拝島駅南口から東に歩くと、江戸街道に出る。信号を渡ると、「五日市鉄道の路線跡」の看板が見える。その横の道に入り南へ歩く。アップダウンのはげしい道をしばらく行くと、右側にノッポビル(コインランドリー)がある。この道で、「五鉄通り」の看板が目につく(写真参照)。その先は、新奥多摩街道である。街道は、東西に村を横切り、集落があったところだそうだ。「五鉄通り」は、いったん途切れるが、新奥多摩街道を左に曲がり、しばらく歩き歩道橋を通過する。「市役所前」の次の信号を渡って斜めに入ると、再び「五鉄通り」に出る。その先をしばらく歩くと「大神」の標示があり、「輪軸(車輪と車軸)」が展示され、往時をしのぶことができる(写真参照)。そこから先は、八高線を突っ切る地下道を進むとまた五鉄通りへつながる。

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