Hi,あきしま第45号
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2団塊世代の生き方インタビュー人生の整え方Hi,あきしま特集特集私が結婚した時がちょうど1970年、大阪万博の時なのですが、そこから約半世紀、主な世の中の出来事が背景にあって今があるのだと思います。たまたま70年代以降の半世紀年表を見つけ、私はこの年に何をしていたかな、この年にはどんなことを考えていたのかなと振り返ってみると、その続きが今に至っており、全ては繋がっているということを実感しました。つまり、当然ですが、この「私」は今、一朝一夕にできたわけではありません。もちろん、人それぞれ皆さん歩んできた歴史が違うのですから、人はみんな違って当たり前なのだと思います。人は皆同じというのは、人間として、動物として、男であり、女であり、皆同じであるというだけで、顔、体格、体力、性格、能力、全部違う形で生まれてきて、千差万別です。時代と共にどうやってそれぞれの人が自分の人生を築いていくのか、というところが大事だと思っています。「働く女性」が一般的でない時代に生きてさて、私は70年に結婚して、第一子が71年、それから、73年、75年に子どもが生まれました。そして、第二子がお腹にいる時から、自宅で習字教室を始めました。当時は女性が外に出て働くということはまだ全然一般的でなく、社会的にも認められていないような時代でしたが、私の中では、大学時代の恩師の言葉がずっとありました。「これからは女性が自己実現していかなければいけない時代になるよ。」私は、それを信じ、私がその時にやれることが小学校1年生の時から20年以上ずっと続けてきた習字を教えることで、結婚前に、すでにそれをしようと決めていました。当時、結婚の多くはお見合いだったので、私がやりたいと言ったことをやらせてくれる人かどうかが、私にとって相手を選ぶ重要なポイントでした。だって、私の生き方に直接関わってきますでしょう?おかげさまで、いい出会いがありました。さきほど、「仕事をする」ことについて、大学時代の恩師の言葉をお話ししましたが、もうひとつ、重要なモデルの存在があります。それは私の従姉です。彼女は結婚した先でも、自宅で木目込み人形を教えていて、それを見ていて、彼女に自分なりの結婚後の姿を重ね合わせたところもあって、習字教室をするという夢を実現できたと思います。高度経済成長 夫は「企業戦士」家事、育児、習字教室、全部私がやり、当時の我が家は、「母子家庭?」。あの時代は「企業戦士」や「モーレツ社員」という言葉もあって、とにかく夫は仕事三昧。そして、1日しかない休みの日は、付き合いのゴルフ、囲碁、麻雀三昧…。だから、家にいないことが多かったんです。お金だけ入れてくれる役割の「夫」「お父さん」はいるけど、日常の生活にはほとんど不在で、家庭は母子家庭のような状態。全部「お前に任す。」でした。今思えば、「なんと頼もしい!」否、「なんと無責任な!」でしょうか?その頃は、周りの姉や従姉たちもそんなものだったので、自分だけがたいして大変なことと思っていなかったのかもしれません。大家族から核家族へ私の実家は、4世代で同居していた時期もあり、商売をやっている家でしたから、常に人がいる中で育ってきました。その当時から、子どもは親だけで育つものじゃないという考えがすでにありました。私は4人兄弟の3番目で、兄、姉、弟がおり、みんな違う生き方をしています。それぞれが自分で自分の生きる道を手探りしながら、やってきたのだと思います。私が結婚する半年前、実の母親が亡くなってしまいました。そのことも私の大きな覚悟の第一歩。これで結婚して、子どもが生まれても、誰にもお世話になれないのだと自覚しました。そして、私たち夫婦の結婚生活は、核家族として始まりました。あの頃、「家付き、カー付き、ババ抜き」なんていう言葉もあり、それを夫の親が選択し、夫の勤め先に通いやすい奈良県内の中心地に家を買って与えてくれたのでした。特集●団塊世代の生き方インタビュー人生の整え方その時できること、そして、これから私にできること中上さんにお会いしたのは、2015年の昭島市社会福祉協議会主催のサロン説明会でのこと。その後、始められたサロン「サークル杵柄」で伺ったお話は、昭島に越してくるにあたり、奈良でのお住まいも人付き合いも全てを整理してこられたというもので、その考え方、生きざま、人生の整え方に魅了され、今回のインタビューとなりました。中上 美津子さん奈良県生まれ。2014年、終の棲家として選んだ昭島市に移住。現在、社会福祉協議会登録サロン「サークル杵柄」で活動中。

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