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(注)上記施設等の説明については、立川市中央公民館の立川飛行場に関する学習会が編纂した「昭和記念公園は飛行場だった」の記録等を参照して作成したものです。 昭和記念公園 旧 陸 軍 航 空 工 廠 本工廠は航空機や発動機を生産する陸軍唯一の部門であり、同時に航空技術研究所の試作工場であった。 昭和19年(1944年)当時、工廠の職員従業員数は約14,500人で機体約430機、発動機約580台の生産を行なった。 機体工場用床暖房熱源ボイラーの煙突 通称3本煙突が平成26年まで残っていた (日本で初めてコンクリートの床暖房をしていた) ランドリーゲート跡 米軍接収中に鍛工場等を転用した洗濯工場に近いことから呼称されたゲート跡 発動機工場跡地 建物は残っていなかった 鋳物工場、鍛工場跡地 鍛工場は米軍接収中に洗濯工場に転用され、平成25年まで2本の煙突も残っていた 機体工場跡地 建物は残っていなかった 発動機試験場 発動機の性能試験等を行なうため防音対策として壁面は1mあまりの厚さがあった メッキ工場跡地 建物は残っていなかった 車体整備工場跡 米軍が進駐後に転用した 東中神駅 航空工廠正門跡 正門は残っていなかった
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