アキシマクジラはどこで発見されたの?

ページ番号1004657  更新日 2025年12月12日

発見

いつ

昭和36年(1961年)8月20日昼過ぎ

どこで

多摩川河川敷JR八高線多摩川鉄橋の11番橋脚の下流約36メートルの地点

緯度北緯35度41分41秒付近
経度東経139度21分48秒付近

写真:当時の発掘現場
当時の発掘現場
写真:現在の発掘現場
現在の発掘現場

イラスト:案内図

だれが

当時、昭島市立玉川小学校の教諭だった田島政人さん(故人)と長男芳夫さん(当時4歳朝日町在住)

どうして

夏休みを利用し、親子二人で貝や魚の化石採取と飯盒炊さんをするため多摩川河川敷を訪れて発見した

どんな状況だったの

当時、砂利採掘により露出した河原の地表から、化石の先端(長さ10センチ、幅3センチ)が露出しているのを発見。付近を観察すると10数メートルにわたり化石の痕跡である小穴を発見。大型の化石と確信し、最初の化石を岩で隠し帰路につく。百科事典などで調べたがわからず、数日間現場通いと専門書を読みあさる。同僚に相談し、教育委員会職員と現場を確認後、専門家を呼び8月28日より発掘を始める。

発見、発掘から復元まで「アキシマクジラ物語」で振り返る

写真:「アキシマクジラ物語」表紙


発見者の田島政人さんの著書「アキシマクジラ物語」(絶版)より概要をまとめました。
写真提供 田島芳夫さん

注意:アキシマエンシス(昭島市教育福祉総合センター)と昭島市役所社会教育課でご覧いただけます。

8月20日

写真:化石があるサインとなる穴
赤丸が最初に見つけた化石
赤三角が次々に見つかった穴

はじめに地表から顔を出していた大きな化石端を発見
軽く掘ると、その先がどんどん広がっていく(これはかなり大きいぞ恐竜かも)
付近を見渡すと化石が眠るサインの小さな穴が広範囲に広がっている(やはり恐竜か?でも地層からしてありえない 象にしては大きすぎる)見つけた化石端を石で隠して帰宅。興奮を抑え百科事典などを読みあさる。

8月21日から8月25日

数日、専門書などで研究したがわからず、毎日発見現場に出向き確認し簡単な記録をとる。

8月26日

仲間の教諭に相談し現場を訪れ、教育委員会へも報告する

発掘作業(8月28日から9月3日)

8月28日

写真:発掘途中の化石
発掘初期の化石の産状

教師仲間5人と教育委員会職員2人で発掘開始。
文化財保護審議会の考古学担当に依頼し現場確認をしてもらう。

8月29日

写真:当時の現場保存のようす
撮影小平市 鷹取健さん

道具を揃え本格的に発掘開始。昨日掘ったところの化石の一部が砕けて失われていた。
現場保持のためテントを張り、教育委員会職員が泊り込む。

写真:化石の鑑定をする甲野教授
鑑定する甲野教授

考古学教授の国立音大の甲野博士に来てもらい現場を確認
「おそらくクジラの骨ではないか。地層から見て100万年以上前と思われる。国立科学博物館に鑑定を依頼しましょう」
発掘作業をしていた教諭や職員もクジラと聞き唖然とする。
背骨、肩甲骨の一部、肋骨を掘り出す。サメの歯や貝類の化石も多数見つかる。
テレビやラジオでも報道が始まる。

写真:背骨の化石出土のようす
背骨の化石出土のようす
写真:一緒に出土した鮫の歯と貝類の化石
一緒に出土したサメの歯と貝類の化石

8月30日

写真:尾崎博士の記者会見のようす
尾﨑博士を囲んで

当時の中村敬充市長と池野政一教育長が陣頭指揮にあたり、市内の教諭を中心に市民も加わり作業員が大幅に増える。
国立科学博物館の尾崎博士、立教大学の石島教授が新聞記者やカメラマンと到着。
観察後、記者会見で「500から200万年前のクジラの化石。骨の長さ11メートル。体長15,6メートルの中型のヒゲクジラと思われるが種類は特定できない。これだけそろった化石は日本では初、世界でも珍しい貴重なもの」と発表。

8月31日から9月3日まで

写真:水縄を張り、原位置記録作業をするようす
水縄を張り巡らせた発掘現場

新聞各社が「完全なクジラの化石多摩河原で発掘五百万年前と断定」と掲載する。
発掘作業は苦労の連続でした。十数メートル四方に及ぶ化石の産状を、後に再現するため正確な記録が必要で、1メートル間隔で水縄を張り巡らせ、それを記録しながらの作業でした。
また発掘した化石は、非常にもろかったため、慎重に石膏で固める作業をしながら、近くの市立成隣小学校の空き教室に運ばれました。

写真:発掘中の化石

写真:発掘のようす

写真:石膏で固める作業のようす


写真:石膏で固められた化石

写真:運搬される化石のようす

9月4日

写真:大雨の増水で消えた発掘場所
昨夜から降り続いた大雨の影響で、発掘場所は川底に沈んでしまいました。

一年がかりの復元作業

成隣小学校の空き教室に運ばれた全化石は、その後一年間をかけ復元作業が続きました。
発掘に携わった市内の教諭を中心に「地学研究会」を発足させ、放課後や土曜・日曜に作業を続けました。

論文を書かれた木村主幹学芸員は
「研究中、細部のクリーニングをしましたが、現在のように進んだ技術や道具、材料があっても油断できず慎重に行い時間のかかる大変な作業なのに、当時の状況を考えると、復元作業は想像を絶する時間と労力であったはずで、その熱意に研究者としても敬服します」
とコメントしています。

その作業は、最初に化石の周りに付いた泥や砂を除去するクリーニング(剖出作業)で、化石がもろいため慎重に行いました。灰色の砂を取り除くと濃い茶色の化石が現れ、その都度感動したそうです。
並行して復元作業も行いました。折れた部位ややバラバラになってしまった化石の繋ぎ合わせをボンドで、もろくなった化石はボンド液(水で薄めたボンド)に浸して乾かしたそうです。

写真:復元中の化石

写真:肋骨は接着してから立てかけて固定させた

写真:進化し胸びれとなった前足と指の化石

写真:復元のため成隣小学校に運び込まれた化石


組立は、小さいものは山のように積まれた段ボールから部位合わせをし、長い物や大きなものは重みで崩れないよう保管に工夫をしたそうです。
同時に、クジラに関することや地球の歴史、生物の発生、区分など尾崎博士から講義を受けたり、仲間同士で勉強する日々も続いたそうです。

写真:尾崎博士による復元のための講義で要点が書かれた黒板


こうして発見から1年間を費やし、復元作業は携わった方々の地道な努力と並々ならぬ情熱により昭和37年(1962年)8月23日に終わりました

写真:復元完成記念のようす

見学

この年の12月の広報で一般公開(14日から16日まで)すると掲載し3日間多くの見学者が訪れ、「大きい」「思ってた以上にでかい」と口々に驚愕の感想を話していたそうです。

写真:見学者を乗せたバス

写真:見学に訪れた人たち


また、この年「昭和36年(1961)の科学・技術百選」のひとつに「日本最初のほぼ完全なクジラの全身化石の発掘」として選出されました。

多摩川の河床

通常、河床は砂利や大小さまざまな丸石でおおわれていますが、アキシマクジラの化石発掘場所である多摩川河床は、戦後のビル、道路建設の需要の高まりからコンクリート材として砂利が採取され、200万年前 の地層が露出している状態でした。この地層をシルト層(砂と粘土の中間の粒の砂岩層)といい、土地の人たちは「なめ土」や「なめ」と呼んでいます。貝や魚の化石が頻繁に発見される場所で八高線の橋脚をつくる際にも多くの貝の化石が出土したといわれています。
現在、この付近は護岸工事でさま変わりしていますが、それでも端々に河床の露出を見ることができます。

写真:多摩川なめ土1

写真:多摩川なめ土2

写真:多摩川なめ土3


ここの地層は、新生代第四紀前期更新世の地層(約250万年から140万年前)で、海に堆積した地層(海成層砂岩、泥岩および凝灰質砂礫などからなる)を主体とした上総層群小宮層(約195万年から177万年前)で、350万年前頃から始まった山地の隆起と盆地の沈降による海進の影響で、外洋環境が広がった多摩地域の中のひとつと考えられています。
小宮層からは海生哺乳類の化石のほかアケボノゾウなどの陸生哺乳類の化石も産出されていることや、貝の化石の種類からも、海であった時代でも比較的浅瀬であった可能性が考えられます。これはアキシマクジラの発掘時、肩甲骨に化石化したフジツボが付着していたことからも推測できます。

アキシマクジラの奇跡と大切さ

アキシマクジラがたどった200万年は、想像を絶する奇跡の連続でした。
そして化石が発見され、人の手に触れてから今日の論文発表を迎えるまで、多くの情熱をもった方々に携わっていただいたこと。これも奇跡のひとつではないでしょうか。
奇跡の積重ねと感謝の念を心に刻み、昭島市の宝としてアキシマクジラを後世に伝えていくことが大切なことではないでしょうか。

奇跡の連続

奇跡その1

骨が比較的早く堆積物に埋まり破壊されずに化石として保存されたこと

奇跡その2

約200万年もの間、地殻変動や地層の高い温度変化や圧力の影響がなかったこと

奇跡その3

化石の一部が露出した一瞬のタイミングに発見されたこと
大雨が降れば川の浸食により化石は流出していた

奇跡その4

関係者の熱意で発掘、剖出、組立、保存作業が計画的に根気よく丁寧に行われたこと

奇跡その5

研究者が強い情熱を持っていたこと
研究をされた群馬県立自然史博物館長谷川名誉館長は国立科学博物館在職当時アキシマクジラの化石研究にも携わり、木村主幹学芸員は、学生時代あこがれていたアキシマクジラが20年後に研究者として目の前に現れ、思わず舞い上がったそうです。相思相愛だったのです。

どれが欠けてもアキシマクジラの発見、誕生はなかったでしょう。

研究いただいた木村主幹学芸員は
「アキシマクジラの化石発見は、幾多の奇跡の連続で、それぞれ1パーセント未満の奇跡の積み重ねであることを考えると、その確率は限りなく0パーセントに近い。さらに発見が数年遅れ、頭骨自体が失われていたら、新種としてアキシマクジラの誕生はありえなかった。」とコメントしています。

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